東京国立近代美術館 ワシリーチェア生みの親「マルセルブロイヤーの家具」展に行ってみました。
4月15日(土)の芦原太郎先生(建築家)のギャラリートークがお目当てでした。芦原先生のお父様、亡き芦原義信先生はブロイヤーの事務所で働いた経歴がありブロイヤーを日本にお招きした建築家でもあるバウハウスに深い関係のある方です。色々なエピソードなども交えてくださり、楽しくブロイヤーの思想や家具の移り変わりを学ぶことができました。ワシリーチェアの名前の由来も初めて知りました!(展覧会は5月7日まで。まだ間に合いますよ)
HARU
私の事務所から北の丸公園を抜け、竹橋の東京国立近代美術館までは歩いて20分くらい。丁度いい散歩コースです。美術館ではガイドスタッフの方が所蔵品を説明してくれるツアー(約1時間)が毎日あって、その時間に合わせていくことが多いの。自分とは違う色々な見方が発見できて楽しいの。
YOKO
それは素晴らしい展覧会ですね!私も東京にいたらぜひ行ったのに…。どうでした?
HARU
今回はバウハウスの代表的なインテリアデザイナーで後に建築も手がけたブロイヤーの家具が40点ほど展示されています。ブロイヤーといったらワシリーチェアが有名だけど、名前の由来、知ってる?
YOKO
知りません。なんですか??
HARU
私も知らなかったの。でもワシリーと聞いて「ワシリーカンディンスキー」の名前だけは思いついたけど、まさかそこからだとは・・・。20年近く前だけど家にカンディンスキーのカレンダー(月替わりの12枚の絵画でA2サイズくらいだったかな)をかけていた年があって365日見ていたから記憶に深く根付いているのかもしれないけど。
YOKO
ロンドンのテートモダンという美術館にワシリーカンディンスキーの絵がいくつか有って、私も見た事があります。彼のあの抽象的かつ大胆な構図と色遣いは、何とも記憶に残りますよね。
HARU
そう。それでね、最初にブロイヤーのクラブチェアB3を賞賛してくれたのがワシリーカンディンスキーだったんですって。それからそう呼ぶようになったんですって。今はパイプに厚い革が定番だけど当初はパイプに布でした。自転車のハンドルのパイプからの発想とか?その貴重な椅子も展示されています。
YOKO
そうなんですね。確か発表された当時は折り畳みのものもあったそうですよね。まさしく機能美という言葉がふさわしいデザインですね。
HARU
芦原先生のお話の中でも強調されてたのは家具も建築も同じで「人間中心」に考えることが大切だということ。機能をつなげると家具になる→機能をつなげると建物になる。
なのでブロイヤーはバウハウスで家具のデザインから始まり最終的に建築に携わり住宅や美術館も建てたけれど同じ思想が貫かれているというところが今回よくわかる展示でした。
一つの空間を考える時、家具がとても重要な要素であることも改めて感じましたよ。
YOKO
まさしく、”Form follows function”ですね。デザインのアウトプットの形が家具なのか建築なのかという違いで、思想としては同じということなんですね。
以前ベルリンのバウハウスの資料館に行ったことがあり、そこにはバウハウスの教えがたくさん展示されていて、とても面白かったです。
HARU
へ〜行って見たいなぁ。あ、そうそうブロイヤーはイギリスで活動した時期もあったんですって。知ってた?
ブロイヤーはバウハウスで最初に木の家具を作り、その後スチールパイプなどの家具になり、1935ごろからのイギリス時代はアルミとプライウッドの家具。その後アメリカで住宅などを。イギリス時代の家具はとても興味深かったよ。私など薄〜い知識だからプライウッドの家具といえばイームズやネルソンと捉えてしまっていたけれど、相当影響を与えあったんでしょうね。特に一般の普通の人々に何が提供できるのか?(裕福でない人たちにどうやって安くて良いものを提供するか)といった考え方も同じだもね。
YOKO
イギリスと言えば、産業革命が起こった国で産業革命の一番の特徴は「機械化」ということなんですよね。それにより多くの機械生産の製品が増え、 庶民も家具などでインテリアを楽しむことができるようになったという時代背景もありますよね。
HARU
時代背景が大きいよね。単純にスチールの椅子って工業的で無機質って感じてしまいそうだけどその時代の要求に応えようとするブロイヤーの優しさが注がれている椅子だと感じられるようになれたのはとても大きな変化です。
写真下のチェスカチェアも愛娘の名前からとっているんですって。
YOKO
確かにモダニズムという考え方自体が、ある意味「過去への反対」というようなところからきていますものね。産業革命による機械化が、モダニズムという時代の流れに乗って、庶民の暮らしも豊かにして行ったんですね。
HARU
そのあたりの芦原先生のトークも実に軽妙で楽しかったです。「デザインは社会の持っている問題を解決するものだ」というお話もさらりと笑顔で。芦原先生の尊敬する建築家は?というギャラリーのお一人からの質問の答えは「いません!」「お父様では?」「いい親子関係でしたが・・・。若い頃海外を回って建築物を見ました。バロックからコルビジェやミースなど様々なものを。でも地域の名もなき人々が建てた建物が素晴らしかった。例えばアルベロベッロとか・・・。」という先生が素敵でファンになってしまいました。芦原義信先生はブロイヤーを日本にお呼びして桂離宮やイサム・ノグチのところにお連れしたんですって。するとブロイヤーは自分のデザインは日本文化の簡素な美に共鳴するところがある、と語られたそうです。
YOKO
なるほど…。
もちろん著名な方が建てられた有名な建築物は素晴らしい理由がたくさんあるけれど、そうでないものにもそれぞれに素晴らしいところがある、ということなんでしょうか。
HARU
そうなの。名もなき人々から自然と地域にフィットした建築が生まれそれが街並みになっている。そういうところに感銘を受けられたのだと思います。今も芦原先生はそういう地域との繋がりを軸にされているようです。
ちなみに私が被っているお面・・・どう?似合ってる?ちょっとウルトラマン見たいでしょ?
YOKO
似合い過ぎて、全く違和感ないんですけど…。笑
HARU
褒められてる???
バウハウスの教員だったドイツの芸術家オスカーシュレンマーの作品のレプリカなんですって。ちょっとした憎い演出だったので私もノッテみました!
YOKO
アートなんですね!
HARU
バウハウスの奥は深そうです!
今回、 展覧会を振り返って改めて思うことをまとめて終わりにしますね。
時代が求めるものは社会的な背景などによって違ってくるけど、今の日本ではありとあらゆる選択肢を与えられている気がします。家具や建築は20年も30年も共に暮らしていくものなので先を見据えて提案していかないといけないような気がします。もちろん昨年と今年のサローネの違い、といった最先端の情報にも敏感でいたいけど、
10年後に求められるものは何か?という問いを自問し続けていこうと思います、目線を少し遠くに置いて・・・。今、提案するものがほんの少し変わるかもしれない・・・そんな気がします。
HARU/YOKO
皆さんもこのゴールデンウィークに美術館などを楽しまれたらいかがでしょうか?ではまた次回!