今日は、私の尊敬するインテリアコーディネーターの米生澪子(Mioko Yoneu)さんをゲストにお招きしました。皆さんもきっと勇気とパワーをいただけますよ!聴き手にはコーディネータでもあり、ラジオパーソナリティでもあるみっちゃんも参加。3人のトークをお楽しみください。
今回はお仕事編、そして次回はプライベートに近いことをお届けします。
HARU:先生こんにちは!今日は先生の30年以上にわたるコーディネーター人生のお話をお伺いさせてくださいね。
米生先生(以下敬称略):はい、よろしくお願いします!
HARU:先生は音大を卒業されてピアノの先生をされていたと聞いています。40代後半にして、どうしてインテリアコーディネーターになろうと思ったんですか?ずっとお伺いしたかったんです。
米生:ピアノを教えるのも楽しかったですよ。もう、音大を目指す生徒さんなんかは、うちで2泊3日の合宿とかさせて朝から晩まで・・・。
みっちゃん:すごい情熱を傾けられていたんですね。
米生:やはり、生徒さんが試験に落ちたら自分が落ちたような気持ちになってしまいますからね。今も、その頃の生徒さんとはとても親しくしています。
HARU:人に教えるのが、とても上手そうです。ピアノの先生を辞めるのは寂しくなかったですか?
米生:辞めてからコーディネーターになったわけじゃないの。ピアノの先生をするもっと前から、家庭画報やモダンリビングをずっと定期購読してました。それで綺麗な家具や食器を見てました。よく雑誌の最初のページに新しくできたインテリアショップの情報が載ってたので、タクシーでそのお店を1日に4件とか回ったりしてました。伊勢丹にもしょっちゅう行って食器についてお話を伺ってました。
みっちゃん:それはすごい!行動力がありますね!
米生:それでね、モダンリビングの裏に、インテリアの学校もいくつか載ってたんですよ。当時はね。
HARU:確かに、コーディネーターという職業に、人気が出てきた頃ですよね。
米生:ピアノを教えながら、町田アカデミーに2年間通うことにしたんです。
みっちゃん:へぇ〜!それが46歳くらいだったわけですね?
米生:その頃はもう老眼も始まってました。隣の方がそういう大学を出た若い方だったりすると、コンプレックスみたいなものも感じましたね。
でもね。ちょっとそこでインテリアの世界を覗いたら、ハマっちゃったんですね!
HARU・みっちゃん:おーっ!そこからですね!
米生:最初はね、パースなんて描けないと思ってたんです。でも苦労しながらどうにか書き上げると、自分でも「あ、上手!」って思って嬉しかったですね。書けるはずがないものが描けるようになる喜び。
HARU:「あ、上手!」って自分で思えるところがすごく先生らしい!笑
米生:いやもう必死でした。1回休むとわからなくなってしまうので。それでも私の父の葬儀の時だけは休みました。その1回だけで、あとは皆勤賞でした。
みっちゃん:学校を卒業してすぐに独立されたんですか?
米生:最初は、学校で知り合った方と二人でした。仕事が忙しくなるにつれ、ピアノの生徒さんは必然的に徐々に減っていきました。当初は、ピアノの生徒さんの家を任されたこともありました。上手くいきました。何しろ生徒さんのご家族の暮らしを知っていたわけですからね。
HARU:他のお客様も、先生が年齢を重ねていたので、ある意味、安心感があったでしょうね。
米生:そうですね。業者さん達にも「すごいコーディネーターがいる」みたいに思われていたみたいですよ。笑
それで、少しまとまったお金が入った時に、二人でニューヨークに行きました。お金をお腹に巻いて。初めての海外でしたからね。
みっちゃん:そうなんですか?もっと以前から海外に行ってらしたイメージです。それにしても好奇心旺盛でしたね。
米生:その後ですね。色々な海外に行くようになったのは。
そして、しばらくして一緒だった方が他のビジネスを始められるので、私が一人で「アトリエ游」としてやって行くことになったんです。
HARU:お二人で始めた当初から渋谷のオフィスだったと聞いています。歴史がありますね。
みっちゃん:先生が大切にされているティーカップなどもたくさんあって、美味しい紅茶をいただきながら、カップのご説明を聞かせていただきました。
HARU:そうそう。こだわりの美味しい紅茶。本棚には、今まで携わった案件が綺麗にファイリングされて埋め尽くされていましたね。
(写真下:加藤ゑみ子さんと、コラボしてセミナーを開催された時のお写真)
米生:時代が良かったのでマンションのモデルや住宅のモデルもやらせていただきました。「米生のやったマンションはすぐ売れる!」となって、たくさんやらせていただきましたね。
HARU:はい。住宅のモデルハウスのことがきっかけで、私も先生とめぐり合うことができました。その時は、すでに70歳を超えてらしたけど、西に東にモデルハウスを掛け持ちしていて、ものすごいハードなはずなのに、いつも嬉しそうにお仕事されていました。
米生:インテリアが好きなんですね。天職だったと思うんです。プレゼンボードも美しさにこだわりました。やっぱり見た目に綺麗な写真じゃないとダメ。
みっちゃん:美にこだわりが、お強いんですよね。
HARU:セミナーの資料なども、本当にこだわって、ご自身が納得するまで突き詰めるタイプですものね。
それと、お客様や業者さんに深く入り込める愛されキャラ。先生のいくつになっても失われない天真爛漫さは、周りの方を魅了するんですよね〜。
だから、どんどん人脈が広がって、先生の世界が広がって行ったのだと思います。
米生:とても色々な方に助けていただいたし、ヨネウヨネウと言って可愛がってもらいました。感謝でいっぱいです。
みっちゃん:そして、本もお出しになりましたよね。私のはサイン入りです。
(写真下:モデルハウスとの邂逅 ハウジングエージェンシー。アマゾンでお求めできます。)
米生:インテリアの他に、編集という仕事にも、とても興味があったんですね。モデルハウスの経験をまとめました。写真は自分で撮影したものです。
みっちゃん:確かに、先生は写真もお上手ですよね。
米生:今はね、「食器は語る」という本を出したいと思っているんです。私が集めた食器を主人公にして、食器の気持ちになって語るんです。
みっちゃん:ステキ〜!楽しみにしてますね!
HARU:ウンウン!
先生は昨年も、お仕事で九州と都内を行ったり来たりと、お忙しくされていて、そのお姿にすごく勇気をいただきました。
私は、自分の感性がいつまで通用するのか若い頃から不安でした。正直、アラサーの頃は50歳までは無理かも・・・なんて思ってたんです。でも、いざアラフィーなってみると、まだまだ勉強することが山ほど!なんにも、わかってなかったくせにって自分でも笑っちゃいます・・・。
そして、48歳からデビューした先生に比べたらまだまだこれからじゃん!って思えるんです。勇気が湧いてくるんです。
米生:そうですか。私ね、60〜75歳くらいが、人生の中でイチッバン仕事したと思います!
HARU&みっちゃん: キャー(゚o゚;; 本当のレジェンド〜!!
HARU:人って、いつからだって、なんだってできるんですよね!
天職に未だ出会えてないと感じている方は、好きな事に1歩を踏み出して見てはいかがですか?
☆次回は先生がプライベートで連れて行ってくださったところや、先生を支えたご家族のことも少しお伺いしたいと思っています。どうぞお楽しみに!
☆米生先生の生のお声を聞きたい方は2月3日、日曜日の11:30より、インターネットラジオ「ゆめのたね」 東日本チャンネルをお聴きください!
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HARU Interior Directions,Inc.
ツジ チハル
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